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私が認知症の母を自宅で看取って幸せになった訳

介護するのが幸せだった!

 2019年7月26日に90歳で旅立った母の三回忌を先日済ませました。

 母が亡くなる3週間ほど前に忘れられない光景があリます。
 この頃、母は気持ちも穏やかになり、それまで私を悩ませた不穏行動も全くなくなっていました。
 食事はあまり摂れなくなっていましたが、近所の仲の良い知人が訪ねて来ると、いつものように愛想よくふるまいました。
「根岸さんところは、息子さんが面倒みてくれるから、幸せよね」と言われると、
「もう私は何もできないから、全部この人に任せきりよ」と静かに笑って応えました。
 母の笑顔が、私には至福の瞬間でした。

 母が亡くなったあと、誰もが口をそろえて言いました。
「根岸さんは、自宅でずっと息子さんに介護してもらって、幸せだったわよね」と。
 母が幸せだったかどうかは、正直私にはわかりません。
 少なくとも、認知症になって、だんだん身の回りことができなくなり、排泄介助まで息子にやってもらわなければならなくなった自分を情けなく、切なく思っていたに違いありません。
 しかし、私はこうした母を介護することが心底愉しかったのです。
 乳児の笑顔を見れば、誰もが微笑み、幸せな気持ちになリます。
 男の私には、若い母親の子育ての大変さや愉しさは想像するしかありませんが、私が母を介護した心持ちは多分それに近いものだろうと思います。
 世間では「子育てには希望があるが、年寄りの介護は希望がなく、大変なだけだ」と言う人もいます。
 でも、私は決してそうは思いません。

 私は、60年余り生きてきたなかで、母を在宅介護した2年数カ月ほど幸せだった日々は他にはありません。
  母と過ごした何の変哲もない毎日が愉しく、かけがえのない日々の連続でした。
  確かに、昼夜を問わない母の不穏な言動に、半年以上熟睡できなかったり、ストレスを感じたこともありました。
 でも、これも今は愛しい日々としか思い出せません。
  世の中には、5年・10年と在宅介護を続け、ご苦労されている多くの方がいることも承知しています。私も10年以上の在宅介護が続いていたら、幸せな心持ちでやれたかどうかはわかりません。 
 ただ言えるのは、私は母の在宅介護を何よりも最優先にしてやったことと、母を介護して私自身が幸せだったということです。
 これだけは、私にとって紛れもない真実です。

なぜ母を介護して私は幸せだったのか?

 私が母を在宅介護して自宅で看取ったことを、人は「なかなかできることではない、偉いですね」と誉めてくれます。
 しかし「母を介護して幸せだった」というと、「素晴らしいですね」とはいうものの、多くの人が理解しがたいという怪訝そうな顔つきになります。
 やはり、介護は大変なもの、辛いものという認識が殆どで、幸せとは程遠いものなのでしょうか。
 以来、なぜ介護して自分が幸せだったのかを、私はずっと知りたいと思ってきました。

 その理由が1冊の本との出会いで、最近やっとわかりました。
 私が母を介護して幸せだった謎(訳)が、その本を読んで氷解しました!
 本はブログ記事でも紹介した精神科医樺澤紫苑著の『The Three Happiness~精神科医が見つけた3つの幸せ』(飛鳥新社刊)です。
 樺沢が提示した「脳内物質によって人は幸せになる」という主張は私の心を深く射抜きました。
 私が母を介護することで、私の脳内にはオキシトシンで満ち溢れ、私は「オキシトシン的幸福」を実感していたのだと思います。
 ケアの相互性やケアをとおしての自己実現について言及したミルトン・メイヤロフは著書『ケアの本質』で述べています。
《他者をケアしているときに、私たちは外側から彼について知るのとは全く対照的に、彼独自の世界の中で、基本的に彼とともにいることができている》

※本記事は、拙書『ケアマネだった僕がケアメンになってアルツハイマーの母さんを自宅で看取ったら幸せになった訳』(Kindle電子書籍)から一部抜粋、加筆したものです。