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おひとりさまの生き方、明暗を分けるもの

遠い親戚より近くの他人

 浅井ハルさん〈仮名、以下人物は仮名〉は84歳で、10年前に夫を亡くし、○○県S市で一人暮らしをしていました。ハルさん夫婦には子供がなく、兄弟姉妹もみな80歳過ぎで、県外に住んでいました。
 ハルさんは、3年前に認知症を発症し、介護保険サービスを利用して在宅生活を続けてきましたが、2年前に都内に住む弟が成年後見制度を申請しました。
 成年後見人は、担当ケアマネジャーと相談して、ハルさんは認知症グループホームに入所しました。
 認知症になっても社交性のあるハルさんは、じきにホームにも慣れて、元気に過ごしていました。
 弟のほかにも兄姉が3人いましたが、高齢で遠方に在住しているため、ハルさんとは殆ど親交がありませんでした。
 ハルさんは肉親には恵まれませんでしたが、友人はたくさんいました。
 特に、小学校の同級生だった小池信子さんとは、75年来の付き合いが続いています。
 ハルさんは、若い頃から生け花をたしなみ、師範の資格を持ち、お弟子さんもいました。
 
 ハルさんが認知症になって施設に入所した後も、小池さんと生け花のお仲間たちは、頻繁にホームに面会にきました。
 小池さんたちが訪問すると、ハルさんの部屋は笑い声が絶えなく、賑やかになりました。
 ハルさんと小池さんの掛け合い漫才のようなやり取りは、周りにいる人たちをいつも笑わせました。
 ハルさんがホームに入所してから初めての春、小池さんはハルさんを誘って、お花見に外出し、お寿司を食べてきました。
 この時の楽しかった記憶はなぜか忘れず、ホームのスタッフによく話していました。
 その年の秋、肺炎で入院したハルさんは、徐々に体調が悪化していきました。
 入院後も、小池さんと生け花仲間の二人は、何度も病院に見舞いました。
 しかし、治療の甲斐なく、年末にハルさんは亡くなりました。

 ハルさんの葬儀には、肉親者は数名でしたが、生け花の関係者やお弟子さんほか、30名以上の弔問がありました。
 おひとりさまでも、多くの人に惜しまれて見送られるのは、やはりその人が生前どう生きたかで決まるのでしょう。

ある男性の無縁死~人は生きてきたようにしか死ねない!

 私はこれまで高齢者福祉分野で20年、介護施設の生活相談員や成年後見人として、高齢者の最期を数多く見てきました。
 私が成年後見人として担当した忘れられない70歳代男性のケースがあります。
 男性は当時認知症で介護施設に入所していました。
 男性は、離婚していて、子供もいましたが、家族とは絶縁状態で、親族が施設に面会に来ることは一度もありませんでした。
 男性は若い頃、賭け事が好きで、家庭を全く顧みない暴君だったと聞いていましたが、私が担当した時には、いつもニコニコして、気の良さそうな普通の老人でした。

 男性はある日急変して、救急搬送されました。
 私は担当医から病状の説明を受け、かなり重篤な容態で、家族がいるならすぐに知らせて下さいということでした。
 私は子供と同居する元妻に連絡しましたが、「うちとはもう関係ありませんから」と拒否されました。
 男性は入院3日後に亡くなり、本来は成年後見人の職務ではありませんが、家庭裁判所に申立てをして、私が一人で荼毘(だび)に付しました。
 親族に遺骨の引取りも拒否され、葬儀業者に依頼し、合祀墓に埋葬して、永代供養にしてもらいました。
 
 男性は、実の子にすら顧みられることなく、独りで死に、誰の心にも遺らず、忘れられていきます。
 家庭を顧みなかった生前の所業があったとはいえ、あまりにも寂しい男性の最期は私の心に言い知れぬ印象を残しました。
 男性の無縁死は、「人はどう死ぬべきか(=生きるべきか)」、そして「人の幸せとは何か」という人生のテーマを、否応なく私に突き付けました。
 私が高齢者の最期を看取って思うのは、「人は生きてきたようにしか死ねない」ということです。
 これは、誰もが例外のない厳然たる事実のように思います。

 この男性の無縁死がきっかけとなり、私は終活の活動に取り組むようになりました。

※ 本ブログ記事の事例は、私が関わったケースをもとに記していますが、当事者のプライバシーに配慮し、多少の脚色を加えていることを申し添えます。