明日への終活⑪
21.マンションの空室終活
1960年代後半~70年代に旧住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)で住宅ローン融資制度が利用できるようになったことで、当時のサラリーマンはこぞって戸建住宅や分譲マンションを購入しました。東京都内の多摩ニュータウンに代表される、5階建てエレベーター無し、床面積40~50㎡、2Dkや3DKタイプのマンションに住むのが平均的サラリーマンのスタンダードな住宅事情でした。同時期に、民間のマンションディベロッパーでは、都心により近い立地の利便性を売りにした、中・小規模開発のマンション住戸を多く供給しました。そして今、マンションの耐用年数50年を超えたこれらのマンションはどうなっているのでしょうか? 当時30歳代でマンション住戸を購入した人も、既に80歳を過ぎています。子供は独立し、配偶者に先立たれた場合、高齢者が独りで住んでいるケースも少なくありません。老朽化した分譲マンションの一番の問題は、そこに住む住民の高齢化です。マンションの管理組合は住民で組織しているため、その高齢化により、徐々にその機能が失われていきます。また、住民当事者が亡くなり、空き住戸になることも多くなります。子供が相続しても、そこに住むことはなく、マンションの管理費や修繕積立金を滞納する場合も少なくありません。総戸数が50戸未満の小規模なマンションは、住民の高齢化により管理組合が機能しなくなったり、修繕積立金が確保できずに、経年劣化した建物の補修工事もできない状況にあるケースも出てきました。また、価値のない郊外の小さなマンションは相続放棄される場合もあり、今後こうしたマンションの空き住戸はますます増えていくことが予想されます。相続放棄されたり、所有者不明の分譲マンションの空き住戸は、最終的に裁判所の競売にかけられ一般入札されますが、放置された住戸の場合は管理費や修繕積立金が滞納されていることも多く、入札者が前所有者の滞納費用を負担しなければならないので、競売で落札されないこともあります。このように老朽化した分譲マンションの空き住戸問題は、一戸建ての空き家問題以上に深刻なのです。
国民の約10人に1人が分譲マンションで生活している現在、高齢化の進展とともに、居住者たちは大きな危機に瀕しています。人が歳を取るのと同じように、建物も老朽化していきます。人口が減少し、「土地余り・住宅余りの時代」になる将来に備え、私たちは不動産所有に対する考え方や分譲マンションに適用される日本型区分所有法の制度そのものを見直すことも考え始めなくてはならないのかもしれません。
国民の約10人に1人が分譲マンションで生活している現在、高齢化の進展とともに、居住者たちは大きな危機に瀕しています。人が歳を取るのと同じように、建物も老朽化していきます。人口が減少し、「土地余り・住宅余りの時代」になる将来に備え、私たちは不動産所有に対する考え方や分譲マンションに適用される日本型区分所有法の制度そのものを見直すことも考え始めなくてはならないのかもしれません。
22.明暗分ける人生の最期
浅井ハルさん〈仮名、以下人物は全て仮名〉は84歳で、10年前に夫を亡くし、一人暮らしをしていましたが、子がなく、兄弟姉妹もみな80歳過ぎで、県外に住んでいました。
ハルさんは、3年前に認知症を発症し、介護保険サービスを利用して在宅生活を続けてきましたが、1年前に成年後見制度を申請し、認知症グループホームに入所しました。認知症になっても社交性のあるハルさんは、じきにホームにも慣れて、元気に過ごしていました。
ハルさんは肉親には恵まれませんでしたが、友人はたくさんいました。特に小学校の同級生だった小池信子さんとは、75年来の付き合いが続いています。ハルさんは、生け花をたしなみ、師範の資格を持ち、お弟子さんもいました。ハルさんが施設に入所した後も、小池さんたちは、頻繁にホームに面会にきました。小池さんたちが訪問すると、ハルさんの部屋は笑い声が絶えなく、賑やかになりました。
施設に入所した年の秋、肺炎で入院したハルさんは、徐々に体調が悪化し、小池さんやお仲間は、何度も病院に見舞いましたが、年末にハルさんは亡くなりました。葬儀には、生け花のお弟子さんほか、30名以上の弔問がありました。多くの人に惜しまれて見送られるのは、その人が生前どう生きたかで決まるのでしょう。
一方、私が成年後見人として担当した忘れられない70歳代男性のケースがあります。
認知症で介護施設に入所していた男性は、離婚して子供もいましたが、家族とは絶縁状態で、親族が面会に来ることは一度もありませんでした。男性は若い頃、賭け事が好きで、家庭を全く顧みない暴君だったそうです。男性はある日急変して、救急搬送されました。かなり重篤な容態で、家族がいるならすぐに知らせて下さいということでした。私は子供と同居する元妻に連絡しましたが、「うちとはもう関係ありませんから」と拒否されました。男性は入院3日後に亡くなり、家庭裁判所に了解を得て、私一人で荼毘に付しました。遺骨の引取りも拒否され、葬儀業者に依頼し、合祀墓に埋葬して、永代供養にしてもらいました。家庭を顧みなかった生前の所業があったとはいえ、あまりにも寂しい男性の最期は、私の心に言い知れぬ印象を残しました。男性は、実の子にすら顧みられることなく、独りで死に、誰の心にも遺らず、忘れられていきます。男性の無縁死は「人はどう死ぬべきか(=生きるべきか)」そして「人の幸せとは何か」という人生のテーマを、否応なく私に突き付けました。私が高齢者の最期を看取って思うのは、「人は生きてきたようにしか死ねない」ということです。これは、例外のない厳然たる事実のように思います。この男性の無縁死がきっかけとなり、私は終活の活動に取り組むようになりました。
ハルさんは、3年前に認知症を発症し、介護保険サービスを利用して在宅生活を続けてきましたが、1年前に成年後見制度を申請し、認知症グループホームに入所しました。認知症になっても社交性のあるハルさんは、じきにホームにも慣れて、元気に過ごしていました。
ハルさんは肉親には恵まれませんでしたが、友人はたくさんいました。特に小学校の同級生だった小池信子さんとは、75年来の付き合いが続いています。ハルさんは、生け花をたしなみ、師範の資格を持ち、お弟子さんもいました。ハルさんが施設に入所した後も、小池さんたちは、頻繁にホームに面会にきました。小池さんたちが訪問すると、ハルさんの部屋は笑い声が絶えなく、賑やかになりました。
施設に入所した年の秋、肺炎で入院したハルさんは、徐々に体調が悪化し、小池さんやお仲間は、何度も病院に見舞いましたが、年末にハルさんは亡くなりました。葬儀には、生け花のお弟子さんほか、30名以上の弔問がありました。多くの人に惜しまれて見送られるのは、その人が生前どう生きたかで決まるのでしょう。
一方、私が成年後見人として担当した忘れられない70歳代男性のケースがあります。
認知症で介護施設に入所していた男性は、離婚して子供もいましたが、家族とは絶縁状態で、親族が面会に来ることは一度もありませんでした。男性は若い頃、賭け事が好きで、家庭を全く顧みない暴君だったそうです。男性はある日急変して、救急搬送されました。かなり重篤な容態で、家族がいるならすぐに知らせて下さいということでした。私は子供と同居する元妻に連絡しましたが、「うちとはもう関係ありませんから」と拒否されました。男性は入院3日後に亡くなり、家庭裁判所に了解を得て、私一人で荼毘に付しました。遺骨の引取りも拒否され、葬儀業者に依頼し、合祀墓に埋葬して、永代供養にしてもらいました。家庭を顧みなかった生前の所業があったとはいえ、あまりにも寂しい男性の最期は、私の心に言い知れぬ印象を残しました。男性は、実の子にすら顧みられることなく、独りで死に、誰の心にも遺らず、忘れられていきます。男性の無縁死は「人はどう死ぬべきか(=生きるべきか)」そして「人の幸せとは何か」という人生のテーマを、否応なく私に突き付けました。私が高齢者の最期を看取って思うのは、「人は生きてきたようにしか死ねない」ということです。これは、例外のない厳然たる事実のように思います。この男性の無縁死がきっかけとなり、私は終活の活動に取り組むようになりました。